革命家「チェ・ゲバラ」と共に戦った日本人「フレディ前村」映画『エルネスト』で脚光を浴びる

【引用元:http://estorypost.com/】

キューバ革命立役者の一人、アルゼンチン人エルネスト・チェ・ゲバラ(1928~ ’67)。

晩年、彼の部下に日系2世のゲリラがいたという事実をご存じだろうか。

ゲバラがボリビアでのゲリラ戦のさなかに捕らえられ、処刑されてから今年(2017)10月で半世紀。

【引用元:http://cinema.u-cs.jp/】

この時期に合わせて公開された日本キューバ合戦映画『エルネスト』では、オダギリジョーが主人公の日系ボリビア人医師補、フレディ前村(1941~ ’67)を演じている。

【フレディ前村】

ゲバラの下で戦い死んだこのフレディこそ、かの日系ゲリラなのです。

この映画で初めてフレディの存在が日本で脚光を浴びることになりました。

フレディはゲバラの死に39日先立つ1967年8月31日、ボリビア軍に処刑されている。25歳と10ヵ月の短い生涯でした。

ゲバラ部隊におけるフレディの存在は処刑直後の報道で明るみに出ていたが、経歴が不明で謎めいた存在でした。

なぜフレディはゲリラとなって戦ったのか…。

そしてボリビアとはどんな国なのか…。

日系社会が生まれました。

ボリビアは南米中央部にあり、地勢は大きく分けて中南部がアンデス山脈と高原地帯、北東部がアマゾニア(アマゾン川流域地帯)の熱帯雨林と大平原に二分される。面積は日本の3倍近い。

人口1,000万人の6割方はアイマラ人ケチュア人など先住民族です。

石油、天然ガス、リチウム、錫(すず)、鉛、亜鉛、アンチモン、タングステンと資源が豊かだ。

ウユニ塩湖や、ペルーと分かち合うティティカカ湖がある。

1825年に独立したが、植民地時代さながらスペイン系など少数白人層と、その利益を守る軍部が国政を長らく支配していました。

そして、1899年以降、日本人移住者が隣国ペルーなどから流入、小規模ながらボリビアに日系社会が生まれました。

第2次世界大戦後は米軍基地建設で土地を奪われた沖縄県民らが移住してきて、日系社会は膨らみました。

朝鮮戦争で東西冷戦が激化しつつあった1952年、鉱山労働者を主体とするボリビア革命が起きた。だが米国の反共政策と相俟って変革政策は深刻化を阻まれました。

ゲバラは革命の翌年、ボリビアを旅行するが、後年、自身の祖国アルゼンチンの解放を最終目的とする「南米革命」の起爆剤としてボリビアでゲリラ戦を展開することを画策する。

ゲバラは、ボリビア革命が中途で挫折したにせよ、人民蜂起の可能性はあり、反革命戦略を展開する米軍の存在がボリビアでは希薄と見て、戦場に選んだのです。

スポンサーリンク

ゲバラとの運命的な出会い

フレディ前村は、アマゾニアのベニ州州部トュリニダーで1941年10月18日に生まれている。

フレディ前村は地元では目立って裕福な家庭で育ちました。彼は貧しい人々が医者にかかれない冷酷な現実を幼少時代に悟り、医師を志します。

フレディは成績優秀でラパスの大学医学部を志望していました。

ところが共産党青年部に入っていたことが災いして入学の道を絶たれてしまい、打開の道を探っていました。

そんなとき革命から3年余り経っていたキューバが医学留学生を募集し、フレディは志願し合格して1962年4月、ハバナに行くことになりました。

当時、キューバの首相だったフィデル・カストロ(1926~2016)が国立ハバナ大学付属校として創設した「ヒロン浜勝利医学校」の第1期生として、フレディは入学することになる。

その年(’62)10月には、米ソ両大国が核戦争の瀬戸際まで進んだキューバ危機が勃発。

フレディは留学生仲間と共に志願民兵として対空砲部隊に配属されました。

危機は収束したが、東西冷戦の最前線に身を置く決死の体験を積んだフレディは、「無私と愛他主義で革命に積極的に参加する<新しい人間>」の考えに次第に傾倒してゆく…。

「新しい人間」…これぞ、ケバラが希求した革命家の理想像だった。

’63年の正月休暇を、憧れのケバラと過ごした後、革命家の道を志すことになる。

壮絶な最期

ゲバラは1967年7月、ボリビア政府軍にゲリラ戦を仕掛ける方針だった。

だがゲリラ部隊は不注意から存在を察知され、戦闘突入を余儀なくされる。

ただ緒戦の小競り合いは、フレディ前村らゲリラコマンド8人による待ち伏せ攻撃により、政府軍兵士12人を殺傷。13人を捕虜にし、作戦としては大成功を収めた。

しかし緒戦の勝利は政府軍を慌てさせた。支援要請を受けた米軍はゲバラの存在を確認すると、ボリビア軍にゲリラ部隊を包囲させる。

そしてゲリラ側に、より致命的となったのは行軍だった。

ゲバラは後衛隊と再会する場所を決めないまま、前衛隊と本隊を引き連れて出発、双方は再開することなく制圧されてしまいます。

フレディら後衛隊の9人は、政府軍の罠にはまり急流での渡河をせざるをえない状況に追い込まれる。

両岸に待ち伏せしていた政府軍が襲撃。

急流に巻き込まれ両岸に打ち上げられたフレディは捕らえられ、激しく拷問された。

目撃者らの証言によれば、フレディは威厳を失わず拷問にも屈せず、至近距離で撃たれ壮絶を最期を遂げたということです。

撃った兵士は何と…フレディが少年時代に故郷トゥリニダーで食べ物や衣服を与えていた貧しい家庭の少年だったそうです。

この兵士は顔見知りのフレディを「成金の東洋人の息子」と罵り、処刑役に指名されたそうです。

結局、寝返った1人を除く8人が殺されたそうです。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする